延命寺の縁起
当山は寛永年間(1624〜1644)に一乗院日正上人を開山の祖とし市川中山法華経寺の末寺として建立された日蓮宗寺院です。現在はすべての日蓮宗寺院が山梨県の身延山久遠寺を総本山としております。
鎌ヶ谷大仏延命寺と称されており、飛地墓地に「鎌ヶ谷大仏」があります。現在の新京成線の駅名となっている「鎌ヶ谷大仏」は駅前に今も人々の平穏を守るため木下街道(きおろしかいどう)を向いて安座されています。
当寺が建立された鎌ヶ谷の地は江戸時代に鮮魚を日本橋まで運ぶための道路として広く利用された木下街道沿いの鎌ヶ谷宿として昔から多くの人々が往来し栄えていたところであり、また江戸幕府が軍馬育成のため設置した放牧場でもありました。今も宿場だった時代の宿屋が残されていて、鎌ヶ谷市の指定文化財になっています。
鎌ヶ谷大仏( 鎌ヶ谷市指定文化財)
安永5年(1776年)鎌ヶ谷村の豪商福田文左衛門が先祖供養のため作らせました。
伝聞では開眼供養の時には街道約3町(327m)を50人以上の僧侶が音楽に合わせ練り歩き供養したと言われています。
近年奈良や鎌倉の大仏様を想像して来訪される方がその質素なサイズにレプリカと間違われたりしておりますが、駅前に安置されているそれが鎌ヶ谷大仏の本体です。
同墓地内に同じく指定文化財の官軍兵士の墓もあります。
※現在鎌ヶ谷大仏は福田家個人所有で、大仏がある墓地は当山の管理となっております。